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HISTORY 歴史

この街の記憶と誇りを受け継ぎたい。

江戸時代は大名の屋敷町、そして亀戸天神の門前町として知られた町。

地図

江戸時代、本所と呼ばれた錦糸町界隈は、両国橋がつくられてから格子状の地割りと掘割が計画的に進められ、大名や旗大名、旗本の下屋敷が建ち並ぶ武家屋敷の町として知られ、ブリリアタワー東京の建つ敷地も大名の下屋敷でした。

「葛飾北斎」、幕末の雄「勝海舟」など、本所生まれの有名人も数多く、また粋な江戸っ子の信仰を集めた亀戸天神の門前町としても賑わっていました。

精工舎から世界のSEIKOへ。ブランドの発展の礎となった場所に。

精工舎跡地

精工舎跡地

明治以降の錦糸町は、縦横に水路を張り巡らされた水運の町としての利を活かし、工場が建ち並ぶ産業の町に変貌しました。中でも、明治25年には世界の「SEIKO」として知られる精工舎が開業。錦糸町の発展に大きく寄与しました。

この精工舎跡地に誕生したのが「ブリリアタワー東京」です。「SEIKO」ブランドの礎となったこの地の誇りを受継ぎ、次の100年を見据えるこのタワーは、あなたと東京の新しいストーリーを紡ぎだします。

※上記の内容は分譲当時のパンフレットに記載されている内容を基に掲載しております。

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